「プラハの春」
一九六四年、ソ連ではフルシチョフが解任されてコスイギン首相(任一九六四~八〇)・ブレジネフ第一書記(任一九六四~八二)体制となりました。
六八年、チェコスロヴァキアで民主化要求がおこって政変があり、改革派が政権についたが(プラハの春)、ソ連と東欧四力国が軍事介入してこれを鎮圧しました。
中ソ対立も長引くうえアルバニアの対ソ断交(一九六一)に加えて、プラハの春事件で国際的批判をあびて、ますますソ連の威信は傷ついた。
さらに社会主義諸国の改革への動きも抑えられたことから、これら諸国の政治・経済の停滞を招きました。
ここでも超大国ソ連の苦悩は深かったようです。